2006年04月07日
今帰仁城 ものがたり

琉球国は、14世紀初頭から北山国、中山国、南山国という三山分裂時代をむかえた。中国の三国志時代のように琉球国も3つの国に分かれ、互いに戦火をまじえて覇権を争っていた時代がある。北山とは現在の恩納村、金武町以北を含む国頭郡の地域となる。それぞれの拠点は、北山が今帰仁城、中山が浦添城、南山が島尻大里城(糸満高嶺)であった。
「山」とは、国と国とを隔てる国境線を指し、古く、中国では山は国を意味した。不思議なことに三山時代の領土区分は、恩納村多幸山付近から南北に異なる土壌区分による分離線と同じ線引きとなる。また、三山は、それぞれ中国との冊封(中国への進貢国)体制に組み込まれ、進貢貿易を行っていた。
今帰仁城を拠点とする北山国は、その発生から滅亡するまでの経緯は、空白になっている。北山王統の系譜にしても、伝説のベールに包まれた世界となっている。「中山世譜」にも、今帰仁按司(なきじんあじ)→不明→不明→怕尼芝(はにじ)→(みん)→攀安知(はんあんち)としか記録されていない。
初期の今帰仁城が建設されたのは、1000年以上前の時代で、日本では平安時代、源氏と平家が登場した頃である。建国の按司は北山大按司とよばれている。鎮西八郎源為朝が今帰仁でもうけた男子・大舜(舜天の兄)が城主となったとも伝わる。その後の城主として、為朝の孫(舜天の次男)が登場する。
その後、浦添の王統からの派遣者が代々の城主として継続していく。その後、地元で勢力を蓄えた土豪の本部大主による内紛が起こり一時、浦添系の王権は今帰仁を追われる。しかし、浦添系の遺児・丘春達によって謀反人、本部一派は討ちはたされ、英祖系王統は復権する。この頃から三山時代に入るが、王座を奪回した王統も、その6代目の頃、実力をつけて新たに台頭してきた同じ一族の怕尼芝に滅ぼされてしまう。三山時代に、怕尼芝が創立した北山国は、 、攀安知と三代続き、中国とも進貢貿易を開始するほどの国力をたくわえて、北山王国の栄華を築き上げた。その頃、新興勢力として旗を揚げた佐敷按司・尚巴志が中山の王城首里城を攻略して中山王となり北山に攻略の的を絞った。強大な軍事力を身につけた尚巴志の前に、1416年北山国としての王国は滅ぼされてしまった。民間に伝わる口碑によると、北山の王権をめぐる下克上、また王族の遺児達による奪還など数多くのドラマが秘められている。五回以上の興亡戦が発生し、その度に敗残者や落ち武者達が沖縄全島に離散していった。その中には、山田按司、伊波按司、読谷按司、大湾按司、等が誕生していった。「ムートゥハ、今帰仁」(元は今帰仁)とは、沖縄各地域の人々のルーツと北山の落ち武者達とのつながりが深い事を表している。北山には、沖縄初の銅山の開発、王国直営の古我知焼きの窯の直営等があり、文化が進んでいたことがうかがえる。
亀島 靖
1943年沖縄県那覇市生まれ。劇作家、プロデューサー。
主な著書に、「琉球歴史の謎とロマン1〜3」、琉球新報 新聞小説「三十六の鷹」、沖縄県広報誌「琉球歴史人物伝」、沖縄テレビ「沖縄の昔ばなし」原作、琉球放送「源為朝伝説を追え」脚本、CD「耳で聞く琉球歴史の謎とロマン」など。
投稿者 breakjp : 2006年04月07日 21:27