2007年06月06日
オリオンビール創立50周年
米軍統治下の最中、沖縄の戦後復興へと邁進する沖縄県民と共に歩んできた「オリオンビール」は、今年5月18日に創立50周年を迎えた。
いまでこそ、沖縄県産品を声高らかに謳う県産ブランド数あれど、オリオンビールは50年前の創立当時から、熱烈沖縄県産品であった。
またオリオンビールの歴史は、沖縄大衆文化の歴史とも重なり合う。
様々なイベントの主催、パッケージングや広告デザインの移り変わりは、沖縄県民の暮らしと共にあった。
その移り変わりをビジュアルと年表で振り返ってみたい。
取材・文・写真/島袋 浩
オリオンビール名護工場の展示ホールに展示されている仕込み釜は創立当時の1958年から1987年まで使われた。
オリオンのDNAは連綿と受け継がれている。
オリオンビール創立の年に入社以来47年の長きに渡ってビール製造部門の要職を担い、オリオンビールの歴史の語りべといえる、オリオンビール名護工場の元工場長、外間政吉氏にお話を伺った。
私が入社した頃は、まだ工場も建ってなくて、本当にゼロからビール造りが始まるのだなって感慨深く思った事を今でも思い出します。工場の設備ができても肝心の製造プラントのかなりの部分を皆で試行錯誤と創意工夫で手作りしましたね。それから工場操業し発売となっても、当初なかなか売れなかった。売れないと工場もヒマになるので、全社員で工場緑化に励んだのです。そしたら当時の琉球政府から緑化優良団体として表彰されました。決して順風満帆な船出ではなかったけれど、当時を振り返っても、辛かったとか不安なんて微塵もなかった。会社も私も若かった事もあったんでしょうが、当時の沖縄には「なんとしても復興するんだっ」と言う気概に満ちあふれていた。だから落ち込むヒマなどなく、ビール造りに邁進していました。造るだけでなく、夕方5時からはタクシーに乗って当時一番にぎわっていたコザ(現・沖縄市)に営業に行って毎日、4~5軒の飲食店をハシゴして早朝、タクシーで名護に帰ってビール造りに励む、今では考えられない程モーレツに働いて、モーレツにオリオンビールを飲んでいました。当時の一番の思い出は、1965年にアメリカのビール会社の計らいで米軍機に乗って行ったアメリカのビール工場の視察旅行です。世界規模のビール工場のスケールには驚かされました。アメリカ視察に触発され、同じ年に一ヶ月間ヨーロッパ視察旅行に一人でいきました。当時、千ドルで一軒家が建つ時代、会社から千ドル、自腹で模合で得た千ドルを握りしめてヨーロッパに渡った。ドイツ・フランス・イタリア・イギリスを回って、それぞれのお国柄のビール造りへの情熱を学んだその時、オリオンビールもビール造りの情熱はヨーロッパのメーカーに負けてないと確信し、その体験がその後のビール造りへの大いなる自信につながった。ビールの売り上げも順調に推移し、沖縄の本土復帰を境に生産量も飛躍的に伸びていきました。
オリオンビールが50年の歩みの中で様々な紆余曲折を経て、ここまで成長できたのは、沖縄のビールメーカーを育てていこうとする温かい応援があったからこそだと思います。その郷土への感謝の気持ちとビール造りへの情熱「オリオン魂」とも言えるDNAは若いオリオンマンに連綿と受け継がれていると確信します。

質素な風合いが当時を偲ばせる、操業当時の工場のカンバン。工場敷地内には工場緑化に励んだ創立当時に植えられたヤシの木が今なお天高く見守っている。

外間政吉氏
沖縄県本部町出身。昭和33年東京農大卒業。同年オリオンビール入社、常にビール作りの現場に携わり平成9年より平成13年まで工場長を務める。
投稿者 breakjp : 2007年06月06日 15:18