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2009年05月05日

首里城ものがたり その四

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首里城に君臨した名君 尚真王
ー その一 ー
 首里城が現在の地に最初の王城として築城されたのは、十四世紀末頃に中山王察度の頃と伝わっている。その後、十五世紀前半に統一王朝を創建した第一尚家二代目国王、尚巴志が現在に伝わる宮殿の形式を整え、十六世紀に第二尚家三代目国王尚真が首里城全体を現在の規模に整備拡張した。
 尚真は、万古に冠たる王であり、二人といない名君と詠われた国王とされている。尚真の時代は、琉球王朝文化の黄金期とさえ伝わり、世界遺産のほとんどが尚真の治世の頃に建造されている。

 園比屋武御嶽石門、首里城跡、玉陵、斎場御嶽等、世界遺産の「琉球王国のグスク及び関連世界遺産群」九件の中から四件、また戦前に指定された旧国宝二三件の中からは、首里城内の歓会門、白銀門、円覚寺(総門、放生橋、含む九件)、弁ヶ嶽石門、崇元寺(総門、含む四件)、園比屋武石門等十八件、計二二件、その他首里城内の龍柱、石欄、久慶門、一日橋、真玉道、真玉橋、と言った琉球王国を代表する二八件余の建造物が、尚真の手によってなされているのである。尚真の治世、国王在位五十年間がいかに文化の爛熟時代であったかが窺える。
 尚真は、一四六五年に誕生した。父は、第二尚王朝の祖である尚円金丸五一才、母は琉球初の女帝とも言うべきオギヤカ二一才であった。父は、伊是名島から沖縄本島に渡り、一介の農民から身を起こして権謀術数を操り、さらに第一尚王朝を滅ぼして天下の主となった人物である。母親もまた、家柄の不明な出身でありながら、国母の座に上り詰めた女性であった。その意味では、尚真は修羅場をくぐり抜けた父親と、母オギヤカの血を受け継いだ、生まれながらの国王とも言える出生である。
 しかし、尚真が十三才の若さで国王の座につけたのも、順風満帆な流れではなかった。
一四七六年、父尚円王が亡くなると、国王の座は尚円の弟で、かつ尚真の叔父に当たる第二尚王朝二代目尚宣威へと引き継がれた。
 尚宣威王の王位継承の式典で、劇的な展開によって三代目国王尚真が幼くして誕生するのである。通常、王位継承の時にのみ現れるとされる「キミテズリの神」の新国王への宣旨は、満座が期待した尚宣威ではなく、側に控えていた少年の尚真に対して下された。尚宣威は、任期わずか六ヶ月で国王の座を追われ傷心のまま、越来に隠遁し半年後に世を去ることとなる。
 わずか十三才で国王となった尚真の後見は、しばらく母・オギヤカが務めることになり、尚真は二十代後半頃からようやく自分の個性が発揮できるようになる。時代としては、円覚寺建立の頃と重なる。
 名実共に琉球国の最高権力者となった尚真は、王府の万世の基盤作りを次々と確立していく事になる。その実績は、一五〇九年、首里城内に建てられた「百浦添欄干の銘」に十項目以上にわたって刻まれている。
・仏教に帰依し寺院を建立。
・民を愛し税の軽減化、上下の和睦を図る。
・離島の反乱を鎮め、交通を盛んにする。
・衣冠の制度の設定。
・刀剣弓矢の類を国有化。
・階級制度の設定。
・国都首里の美化。
・芸術を奨励し、庶民の和楽を図る。
・中国との交流を深め、文物の輸入拡大。
・城観の整備。
・殉死の制廃止。
・中国との三年一貢を一年一貢とする。 
 その他に、中央集権制の確立、按司の首里集居制、聞得大君制の確立等の施策を次々に完成させた。         (続く)

亀島 靖
1943年沖縄県那覇市生まれ。劇作家、プロデューサー。
主な著書に、「琉球歴史の謎とロマン1〜3」、琉球新報 新聞小説「三十六の鷹」、沖縄県広報誌「琉球歴史人物伝」、沖縄テレビ「沖縄の昔ばなし」原作、琉球放送「源為朝伝説を追え」脚本、CD「耳で聞く琉球歴史の謎とロマン」など。


投稿者 breakjp : 2009年05月05日 11:55