2011年12月17日
斎場御嶽ものがたり その五

宗教改革に着手する首里王府
首里城に戻った音智殿茂金は、御内原の母后オギヤカの部屋で、尚真王に久高ノロの神格の高さと、いかに人望を集めているかを報告した。尚真は、目を閉じて言った。
「久高ノロの神位を動かすことは並大抵のことではかなわぬか。下手に聞得大君の下につけようとすれば、全琉球のノロの反感をかうやもしれぬ…」
「国王様…」茂金が口をひらいた。
「なんじゃ。三名の時は兄とよべ。 そなたに、何か考えがあるなら申してみよ」
「はい。首里王府の公事をつかさどる方を別にもうけられては…」
「なるほど。二人のノロがいれば、力が二つに配分されるということか…。さらば、首里王府の公事をひき受けるノロを別に考えるとしよう」
オギヤカがうなずきながら
「それがよい。一気に事を運んではならぬ。神々の教えは、何百年も前からの事じゃ。軽々に考えてはなるものもならぬ。すべからく、十年、二十年先をふまえて考えるがよい」
三名は、それから十日間ほど毎日のように密談を重ねた。尚真の治世を迎えた十六世紀の頃には、尚巴志が始めたと伝わる東御廻りもすでに百年を数えていた。そのため、各村々にも、祖神アマミキョを祀る聖地が設けられ、字には聖地を司る根神、またはノロが誕生していた。その数は、三百名をゆうに超えていた。
しかし、その名称も地域によりそれぞれ異なっていた。尚真は、まず、ノロの位階制を統一することから手を着けたのである。
尚巴志は、叔母・場天神女を自分のオナリ神・守護神として位置付けていた。次に、自分の長女を佐司笠という名称で神職につかせていた。この頃は、村の実力者である根人と按司は同一人物だったので、オナリ神は根人の守護神である根神とノロもまた同じ人物だった。だが、時代が経るに連れ按司が必ずしも根人とは限らなくなると、根神とノロも違う人が担うようになり、村落に根神とノロの対立が生まれるようになっていた。
国頭では、ノロの最高職は「あおりやえ」、中頭、島尻では「さすかさ」と称されていた。尚真は、これらの役職の上に「とよむせだかこ(名高き霊力者)」すなわち、聞得大君を君臨させた。その下に、アオリヤヘ、サスカサの職名を残して、国王の妻、王家の女性を当てはめていった。
さらに、その下位に三平等の地域ごとに統括する三名の「大阿母志良礼」、その補助役である「大阿母」を制定した。ここまでのノロを総称して「三十三君」という高級ノロ職と位置付けた。三十三君は、その配下に全琉球の三百名余りの地方ノロを従えた。
尚真は、アマミキョを祖神として位置付けて、先祖崇拝と渡来神信仰、道教の火の神も融合させる宗教体制を完成させたといえる。
尚真は、聞得大君を頂点とする階級的組織を創立し、全ノロに国王の辞令を発行し国家公務員としての社会的地位と身分を与えた。国民には祭政一致に見せながらも、聞得大君の実質的支配者は、あくまでも国王であることに変わりはなかったのである。
大安吉日を選定して、首里城御庭で全琉球のノロを総動員した国家行事として、認証式が盛大に行われた。その一月前には、久高島を遙拝できる斎場御嶽で、茂金の聞得大君の即位式が厳粛に行われていた。久高島のイシキ浜から白砂を取り寄せて斎場御嶽にしきつめ、久高島のノロを介添え役にした即位式は、「御新下り」とよばれ、以後歴代の聞得大君の即位式として継続される国家の一大行事として位置付けられていくことになる。
亀島 靖(かめしま やすし)
1943年沖縄県那覇市生まれ。劇作家、プロデューサー。
主な著書に、「琉球歴史の謎とロマン1〜3」、琉球新報 新聞小説「三十六の鷹」、沖縄県広報誌「琉球歴史人物伝」、沖縄テレビ「沖縄の昔ばなし」原作、琉球放送「源為朝伝説を追え」脚本、CD「耳で聞く琉球歴史の謎とロマン」など。
投稿者 breakjp : 2011年12月17日 17:00