びあぶれいく
Orion
沖縄のヒーロー&ヒロイン
 玉城村に、比嘉ウチョーの伝説がある。
比嘉ウチョーは、今から六百年前の人物で、怪力無双とうたわれた巨漢で、空手、武勇の達人と伝えられている。南山王国の歴史を彩る英雄と言える。
 単なる伝説でないところは、糸数城の近く、屋嘉部・宇底堂にウチョーの墓が実在し、村内各地にはウチョーの末裔がいるという事である。
 南山王国は、歴史家・東恩納寛惇に「隠れたる南山の歴史」と言わしめるほど、歴史の記録、資料に乏しいところがある。これは、歴史が勝者の記録とされ、敗者である南山の歴史が空白にされた事にも よる。北山の歴史も同様である。
 しかし、中国の諺にあるように「天に口無し、人をして語らしめよ」とあるように、巷間伝わる伝説などに案外、真実が含まれている事が多い。
 比嘉姓は、沖縄で多く見られるが、もともとは東が語源であり、ウチョーは、御長(兵隊頭の武将)の意味と考えられる。ウチョーは、その武勇が近隣に鳴り響いた豪傑で、彼が糸数城の守りを固めている間は、強国中山でさえ手が出せなかったほどである。
 武勇伝には、糸数城の裏門に二トンもある石橋をかけ、敵襲の際には自由に取り外したという話や、六メートルの棒を自由に操る知勇備えた武芸の達人、またウチョー愛用の煙草盆は、常人の二人抱えの重さであったという怪力等が伝わっている。
 糸数城の按司に、城内整備の資材調達を頼まれたウチョーは、国頭まで出かけた。ウチョーの留守を聞きつけた那覇・上間の按司は、糸数城を攻略し、落城させる。急を聞いて駆け戻ったウチョーだが衆寡敵せず、上間按司の大軍を相手に戦死を遂げてしまう。その最期は、立ちつくしたまま死んでしまうという弁慶の立ち往生と同じく、壮烈である。
 糸数城のある丘陵は、南に玉城城、知念城、安次富城、大川城、仲栄真城、船越城、垣花城、ミントングスク、大城城、佐敷城、ミーグスク、そして北に大里城と十三もの城が連なる軍事ラインである。
 古来から、各王統の王子が配された緊張感のある地域で、幾多の戦いが行われた事が考えられ、比嘉ウチョーのような地域の英傑が登場する舞台でもある。
 糸数城は、発掘調査によると西暦七世紀の朝鮮百済国・楽安邑城とその作りが類似している事が指摘されている。南山国の歴史は、われわれの想像を超える、国際性と、多様な性格を有しており、比嘉ウチョーの存在は、十分に想像できる世界と言える。
幻の豪傑 比嘉ウチョー
亀島 靖プロフィール
1943年沖縄県那覇市生まれ。劇作家、プロデューサー。
主な著書に、「琉球歴史の謎とロマン1〜3」、琉球新報 新聞小説「三十六の鷹」、沖縄県広報誌「琉球歴史人物伝」、沖縄テレビ「沖縄の昔ばなし」原作、琉球放送「源為朝伝説を追え」脚本、CD「耳で聞く琉球歴史の謎とロマン」など。
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